2014年11月30日星期日
保阪尚希(俳優)から高岡早紀へ妻の不貞をどうやって許したか
保阪尚希(俳優)から高岡早紀へ妻の不貞をどうやって許したか
保阪尚希(俳優)から高岡早紀へ『妻の不貞をどうやって許したか』ベストセラー伊集院静『許す力』に学ぶ有名人がいまだから明かす「私が許せなかった人へ」
'04年に彼女とミュージシャン(布袋寅泰)の不倫報道が出たとき、僕はマレーシアにいました。その翌日、彼女から電話がかかってきたんです。「尚ちゃん、今から帰りの飛行機を変えられない?空港と家が大変なことになってるの」と言われました。僕は「そんなことできないよ」と言って、そのまま帰国しました。そのときの率直な気持ちは、「(ついに)やってくれたな」というものでした。
彼女は移り気な性格だったので、遅かれ早かれ離婚は避けられないと思っていたんです。夜中に帰ってきた彼女から、「離婚して」と迫られたこともありました。そのとき、「子どもの問題はどうするの?」と尋ねてみました。
すると彼女は、「尚ちゃんに親権をあげるから」と言うんです。それ以来、「そこまで言うなら、結婚はもう長く続かないだろうな」と覚悟していました。彼女は結婚して子どもを産んでからも、母親であるより、女としての部分のほうが強かったんでしょう。
不倫には驚きや怒りというより、落胆を感じました。それまで付き合っていた彼女の男は全部知っていたし、彼女とはテレビなどでカタチだけの夫婦を演じる関係になっていた。ビジネスパートナーのようなもので、恋愛感情はもうなかった。
時には仕事現場で彼女の過去の男と会うこともあります。彼女はよく僕の現場に遊びにきていたんですが、恐る恐る聞いてみました。「今度、Sさんと共演するんだけど、それでも、いつもみたいに遊びにくる?」って。すると彼女は「時間があったら行くよ」と答える。驚いて、「どういう顔して会うの?」と聞くと、「今の旦那ですって紹介するよ」と、平然と言うんです。唖然としていると、「だって昔のことなんてどうでもいいじゃない。あなたは今、私と結婚しているんだし」と。
彼女はとても強い女性なんです。車で事故に遭った時も、僕より先に飛び出して怒鳴ったりしていました。40歳を過ぎてヌードに挑戦するのも素直にすごいと思います。
とはいえ、問題はありました。記事が出た当時は夫婦でCMに出演していたんです。不倫報道で、契約していた企業に迷惑をかけたことが、僕には一番許せなかった。
離婚会見では、僕は離婚の理由も彼女の男性問題も話していません。親権は僕がもらったけれど、子どもたちの母親だから悪く言いたくない。それでもっぱら不倫相手の布袋君に怒りの矛先を向け、「火遊びが過ぎた」という彼の弁明に噛みついて、「きっちりけじめをつけたい」などと挑発したんです。
ただし内心では、「布袋君は早紀に巻き込まれて大変だったろうな」と同情していました。布袋君はその後、ボディガードを雇ったり、家から出られなくなったりしたそうなので、申し訳なかったと思っています。あのとき「けじめをつける」と言ったのは、実は布袋君に対してではなく、本当は早紀との関係を終わりにする僕の決意の表れだったんです。
離婚後は半年ほど家庭内別居を続け、徐々に僕たちが別れることを、子どもたちに理解させました。
現在、彼女とのやりとりはほとんどありません。今も彼女に関してコメントを求められるけど、全然知らないし、コメントもしたくない。お互いのため、彼女とは関わりを断ち、会わないことに決めたんです。
「許せない」と思った対象に対しては、意思を強く持ち、関係を断つという対処法もあると思います。関わるとどうしても相手に引きずられてしまう。それよりも、「許せない」という怒りのエネルギーを別のものに変えたほうがいい。
あの時も、僕は裁判をして慰謝料をとるという選択肢を選びませんでした。怒りを仕事へのエネルギーに転化して、離婚を乗り越えることができた。どんな辛い経験からでも学ぶことはあると、彼女に教えられた気がします。
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